学生反抗記ネオ

元京大院生の諸行無常。

忙しくないけど忙しい

例えば明日,バイトが午後5時から入っているとする。それだけ聞くと,朝にも昼間にも時間はあるし,研究も進めることができれば,趣味の一つや二つはできそうなものだけれど,夕方にバイトがあるというこの一件だけでとても憂鬱な気分になる。時間がなくなってしまうと錯覚し,バイトに出かけるまでの時間を無駄に過ごしてしまう。バイトだけやったぞという記憶だけが残り,充実感のかけらもない一日を過ごすことになるのだ。なぜこんなにもバイトが入るだけで嫌な気分になるのだろう。怒られるわけでもなければ重労働をしているわけでもない。けれどとても重たく感じる。それは今までの自分の時間の使い方が下手くそだからか?明日の予定を立ててみて,充実した時間の過ごし方を少しずつ模索していかなければならない。

伏見稲荷と伏見桃山

京阪電車の駅に伏見稲荷駅伏見桃山駅がある。この二駅は五駅離れている割には名前が似ていて素人には分かりにくい。

伏見稲荷はその名の通り伏見稲荷大社が駅の東に位置し,修学旅行生や観光客で賑わう場所だ。参道には土産物店も並び,食べ歩きをする人々でにぎわうが,新型コロナの影響で以前より人影はまばらになっている。

一方,伏見桃山は,周辺に酒蔵が数多くあるほか,寺田屋も観光名所として名高く,成年の観光客で賑わう町だ。大手筋という大きな商店街が駅の改札を出た場所にあり,地元住人の買い物客で人通りも多い。酒蔵の周辺には伏見の酒を出す居酒屋も多く,日本酒好きは訪れると良いだろう。

今日は夕焼けがきれいやった

夕焼けがめちゃくちゃきれいな日でした。

建物もオレンジ色に染まっていて,思わず玄関を出て写真を撮りました。

明日のゼミの準備が終わっていないのでこれから頑張ります。

今日を一言で表すと「ユーチューブ見まくり」

明日はいろいろ頑張ろう。

【新入生向け】留年をしないための手引き―その1 酒は飲んでも飲まれるな

 京都大学に合格した新入生の皆さん,おめでとうございます。新入生の中には,仮面浪人等で大学生活を経て京大に来た方もいらっしゃると思います。この「留年しないための手引き」は,初めて大学生活を始める新入生の方々に向けて,大学4回後期に50単位以上を取得してギリギリ卒業要件を満たした私が,4年間の実践と経験,反省を踏まえて,1回生から楽しく充実した京大生ライフを送ってもらうために留年しないためのヒントを伝えるものです。

 大学に入学すると様々な誘惑があなたを待っています。欲に駆られて堕落し過ぎないよう,単位と良好な関係を築いていきましょう。

◇◆ その1――酒は飲んでも飲まれるな ◆◇

 大学に入ると,周りの先輩や友人は酒を介した付き合いを至るところで展開しています。例えばサークルの打ち上げや友人との会食,時にはやけ酒なんてこともあるでしょう。酒が飲めなくても問題はありませんが,やはり飲めたほうが大学生活ははるかに楽しくなるはずです。

サークルに入り,先輩や友人が増えてくると自然とアルコールを摂取するようになります。ハタチになったかどうかなんて私には関係ありませんでした。大学生は酒を飲むものだ,そういうお許しが与えられているような気がするものです。あなたがもしアルコールとの相性が良い体質ならば,酒を飲むことの楽しさはすぐに理解するはずです。気の合う仲間と酒量が日に日に多くなり,ほぼ毎日朝まで飲むなんてこともあるでしょう。

しかし,ある程度の自覚をもって酒は飲まなければなりません。私の場合,ビールと日本酒が大好きなものですから一挙に体重は増え,登山で汗水流した高校3年間の努力は3か月ほどで水泡に帰しました。

昼に目が覚めると,部屋のあたり一面柿の種だらけなんてこともしょっちゅうです。気分が悪くなり,友達の家でトイレにこもっていたらいつの間にかトイレの蓋が壊れて閉まらなくなっていたこともありました。申し訳ないなぁと思いつつ泥酔した時はお互いさまで,友達が水割り用の天然水をこぼしたあげく「シャワーだ,シャワーだ」と二人で暴れまわっていたことも。サークルのボックスでは音頭をとって両手に酒瓶,披露する芸といえばリズムに合わせてその酒をラッパ飲みするだけという酔っぱらいにしか受けないことをするなど,アルコールを摂取することに一生懸命な毎日でした。

でも,酒をみんなで飲むことはめちゃくちゃ楽しいことです。記憶が無くなるまでお酒を飲んで,馬鹿になれればなれるほど楽しい。でもこれはお酒に飲まれている状態です。惰性で飲んでいるだけですね。

ですから,酒は飲んでも飲まれるな。酔っぱらってきたなぁと思ったら,翌日の講義をチェックして瞬時に出席計画を頭の中で立て,大丈夫そうならとことん飲んでしまいましょう。ダメそうなら目覚ましのセットをして,とことん飲んでしまいましょう。何が何でもとりあえず講義には出席することが留年しないための第一歩です。

一度飲み始めたら止められないのがお酒です。酒に飲まれてまぁいいやと思わない心が大事ですね。

「とことん飲んで,明日の講義も出席するぞ!」

「自由の学風」と管理強化

 「自由の学風」を標榜する京大で管理強化が進んでいる。管理強化と一言で言ってもイメージが付きにくいので具体例を挙げるとすると,まず一つにはタテカン規制の問題がある。これは巷でもよく話題にされるが,道路に面した石垣に立てかけるような形で設置されてきた立て看板が,2018年5月に京都市の景観条例を根拠として大学がそれを認めない方針を示し,発見次第強制的に撤去するようになった問題である。道路に面するとはいえ,京大の敷地内にぎりぎり収まるように設置されていたため,大学が主体となって撤去しているのだ。したがって,タテカンは道路の通行を妨害している工作物ではない。しかし,学生は大学による撤去を阻止するため,大学と公道の境界線より公道側にタテカンを設置する方法を編み出した。これは,石垣に固定させることができないため,たいていは自立式のものとなっている。公道上に設置すると大学は手を出すことができないため京都市が対応することになるのだ。そのため,大学側は自立式タテカンを発見次第,京都市に通報して道路の通行を妨害する工作物として撤去してもらうよう対応している。この場合,役人の事であるから土日祝日の間は自立式タテカンは生き延びることができるのだ。例外として,京都市ラソンのときなどは京都市により撤去されることがある。タテカン以外の管理強化の例としては,集会規程を挙げることができる。集会規程は戦後に作られた京大のルールで,集会を開催するときは事前に総長に届け出をして許可を得なければならないとするものである。この規定は従来の立て看板規程とともに長らく形骸化しており,学生が開く集まりを何ら拘束するものではなかった。2018年5月のタテカン規制を受けて,同年6月には「タテカンフェス」なる集会が昼休みに京大の総人広場で開催された。この集会ではタテカンのライブペインティングをはじめ,そうめんが振舞われるなどかなりの盛り上がりを見せ,一部教員も学生に交じって参加したりと大きな反響を得た。しかし,翌年に開かれた「第2回タテカンフェス」では,集会規程による解散命令を標示したプラカードをもつ職員が多数詰めかけ,幾多の恫喝とビデオ撮影を行いながら学生の活動をけん制したのである。学生の自主的な集まりに大学が介入してくるという前代未聞の事態だったが,これまた新聞で取り上げられるなど大きな反響と多数の学生による参加をもって無事に自主解散することができたのである。真新しいプラカードが燦々とふりそそぐ太陽の光に照らされ,管理強化の一側面を印象付けた出来事として記憶に新しい。このほかにも,学生の自主的な催しであるNFにおいて飲酒規制を求めるなど,さまざまな場面において学生の活動に大学が口を挟むという事態が見受けられるようになった。時代の要請ともいえるこうした大学の態度の変化は,「自由の学風」を自らの手で築いてきたという自負のある京大生にとっては目に余るものだろう。忘れてはならないのは,「自由の学風」は大学当局ではなく学生によって醸成されなければならないものであるということだ。

 京大を志望する受験生がイメージする「自由の学風」とはどんなものだろうか。吉田寮熊野寮といった自治寮であるがゆえに萌芽する学生文化は受験生以外にも取り沙汰されるところだろう。しかし「自由の学風」はしばしば世俗から離れた異端の文化として統制すべきという声があることはネット上の賛否をみても明らかである。国公立大学の学生として多額の税金を投入されている身分にあるまじき行為だという考えは理解できなくもない。しかしだからといって納税者の意図にそぐわない活動は統制されるべきものなのだろうか。警察官に逮捕され懲役送りになる犯罪者だって納税する一市民である。社会の安寧を維持する機構として納税者の人権が一部制限されることを許すのは,それによって市民社会の生活に平穏をもたらすからではないだろうか。もし大学が市民社会に貢献する組織として機能するならば,その根底には真理を探究する場としてあらゆる言説に対抗し,常識の枠にとらわれない営みが必要なはずである。京大の「自由の学風」は学生や研究者にとって大学が持つ意義を最大限に発揮する場として機能してきたのではないだろうか。今の京大にとってタテカンの存在は曲がりなりにも「自由の学風」を形成し,大学の意義を社会に還元する最末端の営みとしてみることはできないのだろうか。

落語の世界にみるタテカン運動

 京大のタテカン運動をこれまで見てきて,その変遷をたどっていくと,とある落語の演目と重なる。「禁酒番屋」という噺だ。上方では「禁酒関所」という名前で演られている。禁酒番屋のあらすじはこうだ。

 

 家臣の余りの酒癖の悪さに業を煮やした主君が家中に禁酒のお触れを出すことになった。けれど酒好きの藩士一同は大慌て。中でも酒豪の近藤という侍は,城下の酒屋になんとかして自分のもとへ酒を持ってくるように厳命する。持ってこなければ切り捨てるというのだ。しかし困った酒屋さん。城内へ酒を持っていくには禁酒番屋を通らなければならない。禁酒のお触れが出ているようではこの番屋を切り抜けることはできないと悟った酒屋の亭主,どうしようかと考えていると店の者が「鳩に一升徳利をぶら下げて飛ばそう」とバカなことをいう。それじゃだめだと言うと「そしたら,鳩に一升飲ませて,,,」と埒があかない。ならばこうしようとカステラの箱を持ってくると,中に徳利をしのばせ水引を付け,ご進物用として菓子屋の格好で番屋へ向かった。番屋の侍,主君の命とあって中身を確認しようとする。

酒屋「いや,これはカステラでございまして,,,」

侍「分かっておる!,,,おや,水引がかかっておるな。。」

酒屋「ご進物で御座います」

侍「あ,なるほど,ご進物であるか。それならば通ってよい。持ってまいれ!」

酒屋「ありがとうございます!,,,,どっこいしょ,,」

侍「,,,待て!今なんと申した?その箱を置け!」

あれよあれよと箱を開けると中には五合徳利が2本。酒屋は水カステラなどと言い訳をするがもう通じない。

侍「中身を吟味いたす!湯呑を持ってこい!」

お付きの者に湯呑を持ってこさせた侍,中身を吟味するといって酒を全部飲み干してしまった。

侍「いつわりものめが!」

酒屋に戻った店の者,中身を飲まれてしまったとカステラの箱に入れる案は失敗だ。次はどうしようかとあれこれ工夫をして番屋へもっていくのだが。。。

 

 この後の続きはユーチューブなどで実際に聞いてほしい。私は立川志の輔の演じているものが一番好きだが,まさにこの「禁酒番屋」は近藤という侍に酒を持っていこうとする酒屋と,主君の命を受けて城内の禁酒を徹底する番屋のせめぎ合いが滑稽な噺として描かれており,当局とタテカン攻防を繰り広げる京大生の姿に通じるものがあるのだ。酒屋の工夫のしどころも,タテカン攻防のイタチごっこの様相を呈しており,ユーモアに走る京大生の精神が,「禁酒番屋」という演目全体に広がる滑稽さとリンクする。京大生がこの噺を聴けば実に面白く感じることだろう。

 落語を初めて聴く人は,一度だけでは噺の筋書きが頭に入ってこないかもしれない。ぜひ二度三度と聴き直してみてほしい。聴けば聴くほど面白さが分かるはずだ。それにしても,タテカンの意義さえ吟味しない京大当局の態度は京大生からすれば滑稽噺にもならない犬も喰らわぬ話である。

折田先生には入試を見守ってほしい

 明日から始まる大学の入学試験にむけて,受験生たちが大学構内の地理やバスの系統を確認したりと,事前の準備が進められていく中,私たち京大生は例年のように受験生を激励することはできるのでしょうか。

 京都大学は2018年5月のタテカン規制をはじめとして,学生の様々な活動に対して制約を設ける機会が多くなっています。政治活動に関わらず,学生が大学に対して反抗しうる環境・雰囲気を徹底的に排除する圧力が強まっているのです。折田先生像もその一例です。折田彦市先生は第三高等学校の校長を務め,「自由の学風」の基礎を作りました。第三高校は現在の総合人間学部につながる京大の前身で,吉田南構内にその銅像が設置されていました。90年代ごろから装飾され始めた折田先生像ですが,いたずら防止のため1997年3月に撤去され,以後自作の折田先生像が製作されるようになったのです。こうした京大生のユーモアは,受験生の緊張をほぐす遊び心の一環として,あらゆるサークルの激励活動とともに京大入試を彩りました。

 しかし,昨年2月にはタテカン規制に伴う構内設置物の規制により,職員が折田先生像を強制撤去し,なんとも殺風景な寒空の下,職員の鋭い眼光を浴びながらの入試となってしまったのです。受験生に京大を選択してもらうよう,「自由の学風」というブランドをいまだにアピールする京大ですが,京大生の京大生による京大生のための自由の学風はもはや風前の灯火。ブランド化して浮遊する実体のない「自由の学風」に入れ替わろうとしています。タテカン問題や吉田寮問題をはじめ,集会規程によって学生主催の第2回タテカンフェスに解散命令が出されるなど,前例のない圧力が京大生に対してかけられています。

 社会が大学に対して求める意義が変化してきた表れの一端ともいえるのかもしれませんが,「時代の流れ」という言葉に揺り動かされてはならない真理を探究する場としての意義を京大は失ってはなりません。自由の学風のもとに芽生える思考や実践を糧に,社会に対して疑問を唱える場でなければなりません。

 折田先生は今の京大をみて何を思うのでしょうか。ホンモノの折田先生像が地下に収容されている以上,京大生は自作の折田先生像を製作して,自由のせめぎ合いを見てもらわなければなりません。