学生反抗記ネオ

元京大院生の諸行無常。

中核派機関紙「前進」にみる安倍元首相の評価―銃撃事件に対する1面記事を参考として―

 7月8日、安倍元首相が銃撃された事件で、翌朝の全国紙は多くのページを割いてその衝撃的なニュースを伝えた。1面に掲載された安倍氏が倒れている様子をとらえた写真は、あまりに非日常的な光景で、やはり現実感が湧かずにいたが、記事はありのままの事実を詳報し、民主主義に対する挑戦であるとの意見文も見られた。朝日、毎日、読売、産経、日経と、政治に対するスタンスが異なる各紙でも、その論調は足並みがそろっていたと言ってよいだろう。しかし、”機関紙”となればそうでもない、というのが今回のテーマである。特に、この事件では安倍氏が被害者となったことから、極左と呼ばれる団体の機関紙は全国紙とは異なる論調を見せている。そもそも、機関紙を全国紙と比較することがナンセンスであることは承知だが、あえてそうすることによって、機関紙を読む面白さを考えてみたい。

7月18日号「前進」1面記事

 今回の記事は、いわゆる中核派、すなわち革命的共産主義者同盟全国委員会の機関紙「前進」の1面から取り上げる。

 「極悪安倍の賛美を断じて許すな 今こそ日帝打倒の革命的内乱を 岸田打倒!8・6―9反戦反核闘争へ 安倍銃撃事件に際し訴える」との見出しで始まる記事は、冒頭から安倍氏に対する評価を”極悪”と断じている。どうやら、今回の事件が安倍氏の賛美に繋がっていることに怒っているようだ。その次には、”日帝打倒”と”革命的内乱”という強い言葉で、中核派が取り組むべき課題を提示し、読者に決起を促している。さらに続いて、”日帝打倒”とはすなわちまず岸田政権の打倒であると表明し、そのための活動の一環として8月に行われる闘争運動への参加を呼び掛けている。

 見出しの中でも後半になればなるほど具体的な説明になっていき、中核派の事件に対する意見と課題、それに対して「いつ」「何を」すべきなのかが把握できるようになっている。

見出しに情報を詰め込む理由

 実物の「前進」は、パッと見ると普通の新聞と変わらないような紙の質感と紙面であるが、いわゆる新聞と機関紙にはその役割に大きな違いがあることを認識しておく必要がある。

 日本ではいわゆる新聞とは商業紙であり、ニュースを報道したりコラムを識者に書いてもらったり、正確で素早い情報を提供することで読者を獲得し、購読料を儲ける。また、数多くの読者を獲得することで、紙面の一部を使って広告を掲載し、広告主から広告料を儲けている。そして、社説として時事問題等に対する社としての意見表明を行うことで、世論に社会問題を議論するきっかけも与えている。読者はそうした記事から各社の論調を把握し、定期購読する新聞社を取捨選択したりもする。

 一方、機関紙とは宣伝紙である。機関の宣伝のために用いる媒体であるから、利益を伸ばすことを目的とはしていない。購読料は機関紙を継続的に発行できるようにするための所属会員の会費的な側面があるし、機関紙自体が宣伝なのであるから、広告は最小限にとどめてあるか一切無い。記事内容も速報性や事実の羅列などではなく、意見文が主体となっている。中国や北朝鮮など社会主義国の新聞は、党や政府のいわゆる宣伝紙であって商業紙とは異なる性質を持っている。

 また、宣伝紙はその機関に所属している者だけの為にあるわけでもない。所属会員が第三者を勧誘するための媒体としても用いられる。したがって、機関紙を手渡された第三者が、見出しを見てその記事が何を伝えようとしているのか、その出来事に対してその機関がどのような意見を持っているのかを速やかに把握できるようにしなければならない。したがって、見出しとはいえ、出来事に対する組織としての評価、出来事を受けて組織が今後すべき活動方針、具体的な活動内容が盛り込まれているのである。

安倍氏に対する評価

 今回取り上げる記事の中で「安倍」という語は24回出現している。その前後を読み取ることで、まずは安倍氏に対する評価をみていこう。

 

 記事の中で中核派安倍氏を痛烈に批判している。その具体的な内容は以下のとおりである。

 

①国家権力を私物化して数々の犯罪行為を繰り返し、そのすべてを居直ってきた安倍

②極悪の反動政治家・安倍

改憲・戦争と新自由主義安倍政治

日帝改憲・戦争攻撃の「司令塔」であり「精神的支柱」だった安倍

 

 以上のように中核派安倍氏に対する評価は”最悪”を通り越したもののようである。①の”国家権力を私物化”、”数々の犯罪行為”とは何かというと、これは記事を読むと8年以上にわたって戦争と新自由主義政策を強行したことであると分かる。また、③や④を見ても分かる通り、”戦争”政策と並立して挙げられているのが”改憲”である。つまり、中核派安倍氏改憲に対する意欲を、戦争を起こそうとする極悪非道な動きであると考えているのである。さらに、”新自由主義”政策への批判も忘れていない。共産主義者にとって新自由主義とは憎むべき対象であるのは言うまでもないが、今回の記事に関連して挙げられている具体例は、安倍氏銃撃の加害者の窮状である。

 「安倍を銃撃した人物は統一教会に家族と人生をことごとく破壊された。そして自衛隊を除隊後、新自由主義下で「一生派遣」という不安定な仕事と生活を余儀なくされた。その一切の怒りが7・8の弾丸となり、安倍に向かって炸裂したのである。」

 すなわち、統一教会への母親の多額の献金という問題はベースとして、派遣業で低賃金で労働せざるを得なかった新自由主義社会のもとでの不安定な生活が、新自由主義政策を推し進め、反共組織である統一教会と関係の深かった安倍氏銃撃に繋がった、と言いたいのである。したがって、記事内での統一教会の評価についても、反共組織として宗教を装って韓国で結成され、共産主義、すなわちサタンとの世界戦争を扇動したとしている。

 安倍氏中核派にとって、反共組織である統一教会とつながり、新自由主義政策を推進する労働者の敵であり、絶対に打倒されるべき対象である。だからこそ、記事内では銃撃者の安倍氏に対する怒りは、「広範な労働者階級人民の怒りを体現」していると表現されている。

 銃撃した人物は、以上のような共産主義思想をベースとした価値観のもとに、労働者人民の英雄として評価されている。しかし、銃撃者本人の心理作用がいかなるものかいまだ全てが明らかになっていないが、記事は犯行の動機を共産主義に寄る形で拡大解釈している。これもまた論理展開としては、よくある話である。